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らむね的通販生活 10周年前夜祭

mukashiなんと本日で らむね的通販生活が10周年を迎えました(たぶん)。本当にみなさんのおかげです。ありがとうございます。またお礼関連の記事は断続的にあげたいと思います。イベントなども考えていたのですが、夏は苦手なので秋にやれればと思っています。楽しみにしていてください。(期待厳禁)

画像はすでに手元になく、なんとALEXAからいただきました。

10年前、1995年のたしか8月31日だったとおもうんですよね。FTPをしたのが。本格的にオープンしたのは9月だったと思います。

ということで、わたしがどんな経緯でホームページを作ったかを表現した原稿を見つけ出したので、長いのですが、ここにアップします。

89年に就職と同時にPCと出会い、95年に結婚と同時にインターネットを知り、ホームページを作った経緯を、1999年に、とあるメルマガの依頼で連載したものです。笑ってやってください。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その0

はじめまして、村山らむねと申します。
60年に一度のひのえうま生まれ、B型、子供一人、夫一人と暮らすサラリーマンマです。

手慰みにホームページやメールマガジンを発行して、一応マルチメディア生活っぽい暮らしを送ってはいるけれど、もともとデジタルとは無縁の人。そんな普通以下の私が、普通以下のレベルを依然として維持しながら、いかにしてデジタルっぽい生活を演じてきたのか、ご紹介したいと思います。

好奇心はあるけれど、知識がついていかない、でも、思いっきり表現したい!!そんな私のデジタルライフでのおいしい思い、悲しい事件、などなどなど。それでは、どうぞごひいきに~

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その1
###パソコンとの遭遇##################

10年前(もう勤続10年か~)、初々しいOL一年生だった私は
新人研修でエムエスドスというのを初めて聞いた。講師が京都人だから「エムエスどす」といっているのかと、最初は思った。

研修の最後を飾る、ブラインドタッチ競争(例文をブラインドタッチで打つ早さを競うもの)では、ダントツのビリ。もういや~ん。隣でぴこぱこ、得意げにキーを打つ理系オトコをうらやましく思いつつも、「絶対こういう暗いヤツとは結婚しねーぞ」と思ったものだ。

文系バリバリの私が配属されたのは、とある営業部。電話の取次ぎとワープロがちょこっとできれば、一応丸印の部署でした。しっかし、新入社員は眠い。こっくりこっくりと船を漕ぐのを見かねた隣の課の主任さんが、パソコンでの原価計算の仕事をくれたのが悲劇の始まり。とりあえず、一作業終わったので終了させようと、ぽんぽんぽんとエンターキーを押していると、「初期化しますか?」と聞いてくる。「そうそう、スタートに戻るのよん」と、ぽぽぽん。

ん?

なんか変だ。主任さんに「なんか変なんですけどぉ」と言ってみると、主任さんの顔が、なんか変だ。

なんとな~く、ことの事態と重大性を察した私は、ひたすら主任さんに「申し訳ございません」を言い、その後、何週間もかけて原価計算プログラムをプログラミングしたほかの部の人に主任さんがひたすら「申し訳ございません」を言っている隣で、必死にぺこぺこしたのであった。

そして、次の春、なぜか違う部にいる私がいた。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その2
###マックとの遭遇##################

パソコンの初期化事件やその他もろもろによって、すっかり問題児となってしまった私の次に行った部署。これがまた、すごいところ。

デザイン系の人が多い企画部のようなところだった。

MS-DOS機でロータス123を立ち上げるのもおぼつかなかった私の前に、マックという怪物が立ちはだかったのだ。京都弁の次はりんごとハンバーガーか。(ふーため息)

うちの会社はMS-DOS系なのだが、デザイン部など一部でマックが根強く使われている。もちろんその頃のわたしに、DOS-V系とマックの違いなどわかるわけもなく、この部ではコンピュータのことを「マック」というのだと、とりあえず理解していた。

そこで初めてやらされた仕事が、3Dソフトでプレゼン用の設計図を書くというものだった。ワープロも表計算もできない私によくもまあ頼んだものだ。その頃最も仲のよかった友人の中に、爆弾マークというヤツがいる。あと、ちょっとやったらお茶でも飲もうと思った瞬間に、一緒にお茶してくれようと思うのか、必ず画面に現れるニクイ奴。今でもその後遺症で、保存だけは1分に一度くらいやる私であった。

アフターダークで遊んだり、わからぬように小さな画面でゲームをしたりと、充実したマックライフと仕事の達成感で、「ずっとこの部ならわたし、結婚しなくていいかも??」なんて思い始めた26歳の秋、いきなりの転部。

これははっきりいってなかなか立ち直れなかった。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その3
###マックマイラブ##################

仕事って楽しいかも☆と思った矢先の転部命令ですっかりしょげかえる。サラリーマンって惨めなのね。

当然、転部先はDOS-V機での仕事となるが、マックじゃなきゃイヤ!!って駄々をこねる私。イヤ~ン、イヤ~ン。(今なら即刻クビか?)

晴れて予算をもらい、マックを導入。システムとしてコンピュータをとらえるようになったのはこの時のおかげ。以前いた部とのダイヤルアップ接続など、ちょっとした通信も実現した。

ただ、カラープリンターを買う予算がなかった。だから、データをフロッピーに入れ、昔の部署にせこせこ通っていたのだ。

ある時、なかなかプリントアウトできない。
なぜ??
近くにいる、後輩だけど院卒だから同い年のシステムに強い理系オトコに、「ねえ、これ変なんだけど?」と言ってみた。
しばらく彼は復旧しようと努力してくれた。でも直らない。
まいっかと、次の作業にかかる。しばらく経つ。
ふと振り向くと、さっきの彼がいまだにカラープリンタを直しているではないですか???

いい人かも☆

というわけで、その2年後には彼と結婚するのであった。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その4
###あいがっためーる##################

交際中、婚約中を通じて重宝したのが社内ネットワークを利用した電子メール!!

なんちゃってメグ・ライアン&トム・ハンクスもしくは、なんちゃって田中美里&竹ノ内豊?
今振り返れば、メール恋愛の先駆者だったのかなとは思うけど、出会いは現実の社会だったのでちょっと違うかな?ネットの中で出会って、ほとんど会わずに結婚まで行くというケースが激増しているらしいが、割と面食いな私にはそれはたぶん耐えられない。結婚に顔は重要なファクターだ。だって愛は消えても、顔は消えないもん。(ちなみに旦那の顔は将棋の羽生名人そっくり。どこが面食いじゃ)

メールでやりとりすると、あっという間にサドマゾの関係が構築されてしまうところが怖いところ。私がけんかをしかけて、彼がメールでひたすら謝る。会って仲直り。というのを延々繰り返した。メールは日本の、いや世界の恋愛を変えていると思う。どう変えたかは誰か研究してほしい。

結婚準備もほとんどメールで。
もっとも激論になったのが、新婚旅行。

ハワイ!

アフリカ!!

ハワイ!!!

アフリカ!!!!

という、一言だけのメールがいったい何回行き交ったろう?
結局、私が折れてハワイになった。アフリカ象を見たかったのに。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その5
###いいいいんたーねっと?################

新婚旅行を終え、お約束のマカデミアナッツのチョコレートをもって旦那の実家へご挨拶。それが95年の春のこと。旦那の家族も集まって和やかな会話が続いていた。

旦那のお姉さんと旦那のお父さんが話している。

「べっこうあめならできるよ」
「りむねっとというのもあるらしいぞ」
「うちはもう契約したけど、結構遅いのよ」

?? *_* ??????

旦那に通訳してもらうと、主に会社で見るインターネットというものが家でも見られるということらしい。私は会社でもみたことないぞ。なになに、みたいみたい!!

ちなみに、旦那の家族は
旦那父 システム会社
旦那姉 外資系コンピュータ会社
旦那  総合電機メーカー
旦那弟 国産コンピュータ会社

旦那母&旦那祖母&旦那叔母&旦那従姉妹はニフティのホームパーティを形成しているというとんでもないネット家族なのだ。80歳を超えるおばあちゃんなんて、インターネットばりばりで、孫の写真をHPからダウンロードするわ、いきなりメールはくれるわで、たいへんなのだ。年賀状にメールアドレスを書いてくるおばあちゃん。あっぱれ。

とんでもないデジタルファミリーとの遭遇で、ガツンときた私。
新婚旅行の予算の余りのお金、20万円で自宅用のマックを買って、とりあえずインターネットというものを見るべく目覚めたのでありました。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その6
###ワンダーネット################

95年4月に旦那の実家にてインターネットという単語をほぼ初めて聞いた私。
5月にマックを買いに行き、6月にインターネットのプロバイダーと契約、7月はネットサーフィン(死語)三昧。

そこまではとんとん拍子だったのだが、このネットサーフィンというのが結構疲れるし、はまるし、肩こるし、で、こんなこと続けていたら、私廃人になるわ。。と、思った。旦那は先に寝ちゃうし、夫婦の会話はなくなるし、それに、リンクをたどってポルノサイトとかに行きついちゃうと、どうして午前3時に新婚の私がこんなもの見なきゃいけないのと、泣きたくなってくる。(なら見るなって)会社であくびしていると、おやじ課長がにやにやしている。事情を説明したらますますこんがらがるだろうから、おしんのように黙って耐える。

そこで、サーフィンにも飽きたし、丘に上がって家でも作るかと、ホームページ作りを夏休みの宿題と銘打ち、やってみたのがこれがおもしろい。8月に作って、9月に発信。ゴーゴーゴー!!

ホームページを作るにあたって、まず大好きな映画の批評ページにしようと考えた。でもその頃も映画の批評サイトはたくさんあったのだ。そこで、私の消費生活は忙しいこともあって、ほとんど通販か個人輸入だったことから、通販の批評ページにしようと思い立った。

それが、「LAMUNE Mailorder Preview」というページ。今は「らむね的通販生活」に改名してしまったが、このホームページを作るのがまたたいへんだったのだ。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その7
###とんとんかんかん家作り###############

わーいい、ホームページ作るんだー

といいつつも、いままでプログラムというものを書いたことがないばかりか、
メールさえも、超初心者。はっきりいって、自転車に乗ったことがない人間がいきなりベンツを運転したがっているという状態だったろう。

とりあえず、誰でも書けるHTMLなんていう類の本をいくつか買い、インターネットマガジンを穴があくほど自分のわかるところだけ読み(わかるところだけなので、ものすごく速く読める)、結局わかったのは、一から作るよりも、気に入ったページをコピーして、言葉だけ変えればいいんじゃい、というシンプルなことだった。

いくつか好きなページを保存して、ちょっとずつ自分の言葉を入れると、ほいほいできるじゃん、マイホームページが。。
というわけで、かなりの安普請な家づくりではあった。

そうそう、イラストもいれなきゃ、と、日曜日の夜の定番「知ってるつもり!?」に涙しながら、マウスでぴょこぴょこ描いたのが、今も活躍中のイラスト達。あるとき「へたうまな絵です」なんて謙遜したら、「そういうのは、へたへたというんじゃ!!」と、ものすごいクレームが来た。
あっははは。ごめんちゃい。

あとデジカメで写真もとった。その頃のデジカメは、会社で転がっていたものを週末に拝借していた。大きくて使いにくいものだったが、これを懐中電灯などを使って、綺麗に見せる術なんていうのも結構一時期は凝ったものだ。

ホームページ作りがはじめてなら、パソコンだって家で使うのははじめて。
何かトラブルがあるたびに旦那に泣きつき逆切れするわたし。私がホームページを作れたのも奇跡だけど、今ままで私達夫婦が別れないでいるのも奇跡だと、いや、マジで思います。

というわけで、2週間くらいの突貫工事でわがビタースィートホームページは見事、リムネットのサーバーにファイル転送できたのでした。


■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その8
###目標クリア ステージ1###############

95年の9月にはじまった私のホームページ。
せっかく作ったんだから、通販ではらむね、っていうくらいにはなりたいよね、と、目標を掲げた。

1.取材攻めになる
2.本を出す
3.講演を依頼される
4.雑誌に連載する
5.テレビに講師として出る

まず、1は以外と早くクリアした。
なぜなら、その頃は個人の女性がホームページを作ったというだけで取材が来た時代だったのだ。

最初に来たのは、インターネットマニアというパチンコ雑誌を出している出版社の雑誌で、女性のヌードがいっぱい載っているような雑誌だった。
どうやってページを見つけたのかは謎だが、いきなり「取材させてください」とメールが来たのだ。
女性の記者の方と、会社帰りに駅で待ち合わせして、当り障りのない会話をしながら、築40年の社宅へと向かう。(やっぱりケーキくらい出すものなのかな?)などと、途中で3人分のケーキを買う。

家について、お茶を沸かして、いきなりインタビュー。

「どうしてホームページ作ったんですか?」
「他のホームページを見るのに飽きたからです」

「やってみてどうですか?」
「いっぱいメールとかきて楽しいです」

とまあ、まったりとした会話を交わす二人。
こっちは初めての体験だし、アドレナリンが駆け巡っていたと思う。

「ではお写真いいですか?」
「どひゃ~」

私は会社にはホームページを作っているというのは秘密にしていた。
今じゃホームページを作るなんて全然普通のことだけど、そのころはまだ特殊技能のような感じもしたので、能ある鷹は爪を隠す、ならぬ、NOといえる馬鹿は爪を隠して尻隠さず、だったのでした。

だから写真も顔を出すのはいやだった。せっかく名前も本名じゃなくしたし、なんか自分じゃない自分を演出したかった。おめんでもかぶって写真にとられたかったのだけど、そうもいかないので、結局パソコン画面をバックにうしろから背中と頭部をとられた。つまるところものすごくやらしいアングルだった。

後日、見本誌を届けられたが、なんだかもう、とんでもなく恥ずかしいものだった。恥ずかしい写真シリーズで、フラッシュに載っちゃったらどうしよう。
(そんなはずあるわけないでしょ)

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その9
###目標クリア ステージ2###############

次の目標は本を書く!!

9月にホームページをアップして、12月だったか、「本を書いて見ませんか?」というメールをもらった。
広文社という知らない出版社の方とお会いした。
インターネットショッピングについての本を書いてほしいというのだ。
ライターでもない、このわたしに?

「はあ、やります。いつまでですか?」
「2月まででお願いします」
「がーん」
「そのくらいの勢いがないと、素人には本は書けません」
「おっしゃる通り」

というわけで、冬休みや土日を使っていきなり執筆活動。
それも、インターネット画像のキャプチャーやレイアウト、掲載許可などすべて任せてもらったので、そりゃあもう大変。
DTPつまりデスクトップパブリッシングというやつらしいことを、しこしこせっせとやっていた。

一番楽しかったのは、掲載の許可を内外のショップの方にもらうために、メールを書くこと。そのお返事がみんなふるっていた。あの頃のインターネットにつながっていた人達って、もう、つながっているっていうだけでみんな友達みたいな感覚があって、とってもフレンドリーだったのです。
私のつたない英語でも、結構メールだとわかってもらえるし、わかりあえたような錯覚にすぐにドボンできた。(インターネットって友達になるのも喧嘩するのもとっても簡単な道具なんですよね。しみじみ。)

2月中に書き終わって、5月に出版されましたが、単なる青春の記念。自己満足のカタマリ。まったく売れませんでした。
親に喜ばれたので甲斐があったといえばそれまでですが、冷静に比べれば孫を産んだときのほうが100倍喜ばれたので、まあそんなものかという感じです。

■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その10
###目標クリア ステージ3&4&5###############

本を出版したのと前後して、講演や雑誌の連載を頼まれるようになった。

講演は、地方の自治体からの依頼が多く、大阪、九州、愛知など、もし全て行っていればただで日本一周に近いことができただろう。もちろん、有給をとって行くので、結局京都と富山に行っただけであとは全て断ってしまった。おいしいものをご馳走してもらえるなど、講演ははまると怖い。先生って言われちゃうしね。これは、癖になると人間が壊れる~と、思いました。
サッチーも早く講演活動から足を洗ったほうがいいぞ。

連載はショッピング関係と、女性のパソコン利用法について。
どこでやっていたかはヒミツ。
私は自分の文章を読むのが大好きなので、雑誌に載った自分の文章を飽きるくらい読んでました(自己陶酔)

そして、96年12月。
とうとうテレビ出演の依頼が来たのです!!
NHKのおしゃれ工房という番組で、2回つづきの講師を務めた。
司会はルー大柴さん。黒くてよくしゃべるひとだった。
ゲストは早見優さんと、ヒロコ・グレースさん。
早見優さんは、もうとっても気さくでいい人だった。
正直言って、教育テレビだから誰も見ないだろうと思っていたら意外や意外。かなりいろんな人が見ていてしまって、もうたいへん。
「私って有名人かも~」とのぼせ上がる私に、ちょっとした事件が。

当時、メーリングリストやネットで知り合った人とのオフ会にあしげく通っていた。あるとき、夫婦喧嘩。
「思っていることがあるなら言いなさいよ!!」と、キレる私に旦那が一言。
「さみしいよ」

そう、すごろくをゴールにむかって駆け上っていた私は、大切なものを見失っていたのです。旦那に背を向けパソコンぴこぱこ。夜はオフ会で乾杯~☆
その代償がここに来てイッキに噴火。大爆発=3
この、旦那の一言をきっかけにして、私のネット活動はかなりトーンダウンしていきました。そうしたら、待ちに待ったものがやってきたのです。

そう、赤ちゃん!!!


■らむね的☆ぱそこんすごろく そこにゴールはあるのか?その11
###ゴールはここにある###############

赤ちゃんをみごもったことで、今までのパソコン生活からはかなり足を洗った。だってそれまではメーリングリストは10個くらいに所属し、1週間に1度オフ会に行き、連載だ取材だって大忙しだったのだ。忘れていけない。会社員だってやっていて、ニューヨークに出張したりもしていたのだ。ははは。

ぱんぱんのお腹で産休に入るころには、ほとんどキーボードにも触らなくなった。これが意外と快適。
なーんだ、インターネットなんて満たされていれば生活の必需品ではないのねって思ってしまった。

とはいえ、HPを立ち上げてからいろんな人と友達になって、子供が生まれたときには、ネット友達からのプレゼントが山のようだった。

プレゼントをもらったからって言うわけではないけれど、結局HPって友達製造機みたいなものだったのですね。

ホームページを作るのも、メールマガジンを発行するのも、結局は「見ましたよ」とか、「おもしろいよ」っていうメールをもらいたい一心でやっていること。熱心にメールを下さった方とは、ごはんを食べに行ったり、香港まで一緒に旅行へ行ったりと本当に仲良くさせていただいています。30超えて、友達を作れる幸福はインターネットならではですよね。

育児をしている間も、先輩のママさんパパさんからたくさんの情報や励ましをいただいて、育児ノイローゼも軽症ですみました。

11回にわたってお送りしてきた、@ここにゴールはあるのか?
単なるパソコンに操られたどたばた劇のような感じになっちゃいましたが、お楽しみいただけましたでしょうか?

パソコン代、電話代と、パソコン生活にかかるお金を回収するまでいかず、いつも収支はちょっと赤字ですが、パソコンから得たたくさんの素敵な情報とお友達。宝箱としての収支は大黒字です。

これからの夢は、通販だけでなく、パパさんママさんが育児をポジティブに受け止められるようにお手伝いができる情報発信をやっていきたいなーって思っています。あとは、携帯電話を買うのも夢。(京太さんの連載で目覚めた)

とにもかくにもおつきあいありがとうございました。
それではみなさん、ごきげんよ~!!

これがホームページ立ち上げの経緯です。それからまた2005年までは、涙と汗の年月なんですが。またそれは別の機会にご紹介できればと思います。

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